ピエトロホームタウン

広場

2025/04/25 15:19

【私の感謝を伝えたい相手や感謝エピソード🍊】
やっぱり両親ですね。
父は先月末に亡くしました。膵臓癌でした。
11月に癌が見つかりステージⅠでしたが、高齢の為手術も抗がん剤治療も出来ない状態でした。
余命宣告は受けていましたが、亡くなる1週間前までは三食完食し凄く元気だったのに、突然嘔吐が続き容体が悪くなりました。
亡くなる前日は母と弟と3人で面会に行きましたが、父から「明日は(面会)来なくていい」と言われ、その翌日に面会予約を入れていました。
その日も行けば良かったと。。。
残念ながら母も父の最期に会うことが出来ず、父は旅立ちました。
私「また明後日(面会に)来るわな」
父の肩を持ってかけた言葉が最後でした。
病気じゃなかったら、まだまだ100歳近くまで生きていたと思います。

父は3男でしたが家業を継ぎました。
決して口は上手ではなく口数も少なく不愛想な方でした。
それでも腕1本で私も弟も何1つ困ることなく育ててもらいました。
嫁入り道具も立派なのをこしらえてくれて、援助的なものは結婚してからも続き大変感謝しています。

残された母を父は気遣っていました。
私に「母さん。ちょっとボケてきているから時々見に行ってくれよな」
父からの言葉をしっかりと受け止め、母を守っていこうと思います。
そんな父の四十九日(満中陰)が、早くも来週になります。
まだ冥途へ向かう旅の途中ですが、母、弟家族、私達家族を見守ってくれると思います。
親を亡くすということは、順番とは言え寂しいです。
昨年は義母を亡くしており、まだ1周忌も迎えていないのに辛いです(涙)

6件のコメント (新着順)
プリモのママ
2025/05/05 10:07

みくさん
色々と大変でしたね。
お悔やみを申し上げます。
お話を読ませて頂いていて、私の亡くなった父と母の事を思い出しました。癌で父が半年で亡くなった後、母が認知症になりました。父の看病も母へのフォローも姉達としてきたつもりでしたが、それ以上に母の寂しさがあったのだと思います。
みくさん色々と大変だと思いますが、どうかお母様とたくさんお話をして下さい。そして、みくさんのお体も御自愛下さいね。


みく
2025/05/05 13:58

コメントをいただきましてありがとうございました。
お優しいお言葉痛み入ります。
昨年亡くなった主人の母が、まさに義父が亡くなって認知症が加速しました。
義父とふたりの生活を長年過ごしてきたから、頼っていた伴侶を亡くし義母もガックリ来たのでしょうね。
四十九日の法要も無事に終わり、百箇日法要まで少し間があります。
私自身が今一番忙しく母親の元へ行けない状態ですが、もう少ししたら顔を見に行きたいと思っております。
闘病生活が4か月ほどでした。その間母はひとりで過ごしてきましたが、父が亡くなってからのひとり暮らしはまた違うものだと思います。
昼間は人に会うこともあっても、夜などひとりぼっちですから寂しいだろうと想像します。
母を守っていきたいと思います。

えいと バッジ画像
2025/04/28 23:00

みくさん大変だったのですね…
お悔やみ申し上げます
49日ももうすぐなのでお忙しくされてるのかな、ごはんちゃんとご自分の分食べられてるのかなとか気になってしまいました😢
急に行かれるとぽっかりと穴が空いたようだし、信じられなくて、眠ってるだけのようで実感がわかないのではないかと思います
そんな中、みくさんゆっくり別れるまもなく、手続きやらお母さまのことやら大変だろうなとお察しします
しっかりしなくちゃって今はお思いでしょうが、急に疲れが来ると思うので、休める時には休まれてくださいね
ほんとうに優しくて家族思いのお父さまだったのですね
なおのことお辛い別れですが、これこからは必ずそばにいて助けてくださると思います
毎日声かけてさしあけてくださいね
どうかご無理なされないことを願ってます


みく
2025/05/05 13:48

こちらにもコメントいただきましてありがとうございます。
四十九日も無事に終わりました。
納骨は百箇日法要時に行うのでまだ先になりますが…
遺影の父は10年程前、いつもお盆とお正月に帰省すると私の家族と一緒にご飯を食べに連れてってくれたのですが、その時私が撮った写真でした。
まだ目が見えていた頃で優しく微笑んでいました。
亡くなる最後の一週間はご飯も食べることが出来なかったので、頬がこけてしまい別人のような顔になっていましたが、遺影の父はいつもの父の姿でした。
お気遣いいただきましてありがとうございます。

ちゃ
2025/04/26 16:57

ずっと皆さんの心の中で生き続けてくれると思います。
私は辛い時は思い切り泣いています。


みく
2025/04/27 06:21

コメントありがとうございます。
自分も歳を重ねていくのと同時に親も歳をとっていくのはわかってはいますが、それでもまだまだ居てくれるものだとばかり思っていました。
身内の別れは辛いものですね。

ポクテ バッジ画像
2025/04/25 23:45

みくさんのお父様はとても素晴らしい方だったんですね。お父様のご年齢を考えると大黒柱としての威厳を保ちつつ、ご家族様への愛情を感じます。
私も医療従事者でホスピス型の施設で働いていますが、様々な出会いと別れに立ち会わせて頂いています。
みくさんのお父様は最後の際までご自身の望まれることして過ごされ頑張ってこられたのですね。最後の言葉はやはり大事なご家族思っての言葉だったのかもしれません。
しばらくは、いろいろと大変かもしれませんが頑張って下さい😊
うまく言えずすみません💦


みく
2025/04/26 09:42

温まるコメントを頂戴しありがとうございました。
最初大きな病院に入院しお医者様から「年末年始はご家族さまと過ごされたら」と言うことで退院したのですが、元旦の夜に再入院となりました。
今は3ヶ月で病院を出なくてはいけないらしく、別の緩和ケア病院の病床数が少ないのでそれまでの間、違う療養型病院に入院しておりました。
そこでの生活も数週間は凄く元気で、面会に行くとベッドに座り会話も普通にしておりました。
5年ほど前に糖尿病か緑内障かどちらが原因か分かりませんが、視力を失っています。しかし病院でも3食完食して家族からも「何処が病人だか」と言っていたのですが、突然の体調の変化と共に1週間ほどで逝ってしまいました。
結局癌が見つかり4か月で旅立ってしまったことになり、早すぎる別れとなり悲しいです。

ポクテ バッジ画像
2025/04/26 16:38

そうだったんですね💦
大変でしたね🥲
視力を失っていたのでしたら、尚のこと五感が済まされご家族様の気持ちを全身で感じておられたんだと思います😊
緩和ケアにシフトチェンジし苦痛から解放され嬉しかったんだと思います。
四十九日過ぎるまで大変ですが、落ち着きましたらご家族様で今までの思い出を話し合ってみてください。
きっとお父様も喜んでくださいますし、ご家族様の気持ちの整理にも繋がると思いますよ🤗

ウルトラの母
2025/04/25 20:26

みくさん お父様は永遠にみくさん家族を守ってくださいますよ。
お父様の願いであるお母様との時間を大切にされてくださいね。


みく
2025/04/25 21:59

お心遣いありがとうございます。
昨年亡くなった義母は(元々認知症は少しありましたが)義父が亡くなって直ぐにせん妄状態が始まり、認知症も進みました😰
実家の母も心は非常に弱い人ですので、(弟家族が同じ敷地内に住んでおりますが)時間があれば話し相手に行きたいと思っています。

おお
2025/04/25 19:10

いいねを押すのもどうかと思いましたが
お悔やみ申し上げます
膵臓がんは難しいですね
お父さまこれからは痛みも苦しみもなくお母さまはじめみくさん家族を見守ってくださいますね
私の父も大腸がんでしたが100歳まで生きると思ったほど元気でした
前々日持っていったおやつを食べきっていました、元気なころから「ピンコロでお願いしますよ」と言っていたら本当に・・・
こんなところでみくさんとお話しできるとは
ご家族に方が元気でいるのがお父さまにとって一番うれし事、しばらく色々大変でしょうがどうぞご自愛くださいね


みく
2025/04/25 21:53

温かいコメントをいただきましてありがとうございます。
父は今回胆管を広げる内視鏡手術を2度受けました。
その為ずっと流動食を食べていました。
亡くなる1週間前全然元気だった時に「バナナが食べたい」と言いバナナを(母が買って)一緒に面会に行ったのですが、入れ歯が無い状態ですので「顎で潰しもって食べや by私」と3分の1ほど食べたその夜に嘔吐が始まりました😨
味のついた水が欲しいと言い一緒にオレンジの味のする水も渡したのですが、夜に「すっぱい」と言ってたらしく、、、
えっ⁉️私があげた水とバナナが原因❓とずっと心に引っかかっています😥
お医者様はバナナが原因ではないとは仰っているのですが…
「胃のみぞおちぐらいが痛い」と言い(膵臓は胃の裏側なので)ああ‥・肝臓が痛いのだな、とは感じていたのですがね。
お医者さまも死が近いのならそう言ってくれれば良かったのですが、何も言ってはくれなかったので、、、
やっぱり(亡くなった日も)面会に行けば良かったかと、色々🌀思ってしまいます😔

tan
2025/04/25 23:04

辛いですね。でもお父様はあなたが居てくれて安心したと思います。最後に欲しい物を口に出来たお父様は、喜ばれたはず。ダメ、と言われて食べれなかった事より良かったと。
私の両親は、元気だと思ってたら、母の認知症が急速に悪化し、え?え?でしたが、お母さん頑張ってきたね、エライよ。ヘルパーさんに面倒見てもらえばいいからね。って言ってたら医師が驚く程に元気に。とはいえ認知症は治らない。諦める事をせず、週一、1時間ですが、会いに行って、会話が成立してきました。父は仕事しかしてなかったから手続きなどは、全て私。私、フラフラで。ピエトロの冷凍ドリアやパスタで頑張ってます。始まったばかりですが、終わりが来る事も考えてます。親孝行?ずっとしてきたから大丈夫😊
こんな私に比べたら、みくさんはたくさん親孝行されてます!ご自分の事も考えて、無理しないで下さいね。

おお
2025/04/26 06:34

食べたかったバナナを食べてジュースを飲んで
食べさせなかったよりもその方が良いと思います
いくら後悔しないくらい面倒をみても
後悔するものと実感しています
みくさんファイト❕
時間が経てばはないと思います、時間が経ったら経ったです
そんな想いと思い出と共に生きて行くのだと思っています

みく
2025/04/26 10:05

コメントいただきましてありがとうございます。
父は糖尿病を患っていたので甘いものも禁止されていたのですが、最後の病院の先生から許可を得たらしく、ビ〇コやエイセイボ〇ロなど差し入れしていました。
tanさんのお母様も認知症になられたのですね。
ウチの昨年亡くなった義母は、義父が亡くなってからひとり暮らしだったので昼間はデイサービス、食事はヘルパーさんのお世話になり、週末に私が地方から帰ってお世話をしていました。
2年程その状態が続き特養に入居したのですが、時はコロナ禍真っ最中で面会も暫く禁止の状態でした。その後段々と認知症が進行していきました。
喋ることも無くなり最後は食事も摂れない状態となり、辛い決断ですが看取り介護の道を選択しました。
やはり人と会って会話をするのが大切なことだとつくづく思います。
tanさん自身の生活もあるでしょうが、できるだけお母様に会いに行ってあげて下さいね。
昔の記憶はよく覚えているらしいので、昔話に花を咲かせて・・・

みく
2025/04/26 10:15

ありがとうございます。
バナナを食べていた父が「4か月ぶりに食べたわ」と言っていたのがまだ救いです。
母が買ってきたバナナが(本当は看護師さんに預けてそちらから提供していただく予定だった)新しく硬かったので、(入れ歯が無い父は)上手く口の中で潰しておらず、そのまま飲み込んでしまったのではないか?それが胆管を詰まらせたのではないか?とずっと気にしておりました。
みかんの味の水は、その1週間前にも桃味の水と共に差し入れしていて飲んでいたので「酸っぱい」の反応に「?」でしたが、もしかしたら味覚の違いの変化が起きたのかもしれませんね。
同級生の友達から、先にお父さまを亡くされていたのもあって「後悔しないように」と言われていたのですが、1月は私の家族全員がインフルエンザとその後胃腸風邪にかかり長く面会に行けず、後から色々思っちゃいますね💧